アンカーポイント
明新書院
紹介
明新書院は、集集地区の永昌小学校東側にあります。光緒9年(西暦1883年)に総理陳長江により集集街に着工され、光緒11年(西暦1885年)1月に完成し、「掌握文衡」という扁額が掲げられました。光緒34年(西暦1908年)に現在の場所へと移り、「崇徳堂」と改められました。廟の土地は日本人の原什太郎から寄付されており、文昌帝君と紫陽夫子が祀られています。正殿の隣の過水の間には地蔵王菩薩神殿があり、開廟にかかわった人々の位牌が収められています。義学として集集文化の地となっています。(写真提供:交通部観光署)
明新書院は、講堂と斎舎の間に翼房がある正殿を中心としています。廟の前の空き地には石が敷き詰められており、正殿の両側の棟には花台が置かれ緑樹も植えられています。惜字炉は正殿前の西側にあり、後園と側園には四季を通じて楽しめる花や木が植えられているほか、築山、景石、塑像が置かれています。また一部のスペースでは、民俗の文化遺産である石のつき臼、酒がめ、すき、蓑、石のひき臼、製茶機などが展示されており、その中でも牛車でかめを運ぶ様子は大変珍しいものです。静けさの中、西を望んで立つと、沈む夕日の美しさに、きっといにしえの真情を思いめぐらすことでしょう。
正殿は講義のためのもので、殿宇は高くそびえ、屋根の棟の上にある麒麟を御している男の子の飾りは、今にも動き出しそうです。その両側に置かれた一対の龍は、左右対称の4本の足を草花で飾られており、生き生きとした表情をしています。
明新書院は民国74年(西暦1985年)に内政部より三級古蹟に指定され、原型に従って全修復されました。日本式のスタイルが取り入れられているのは、日本統治時代を経験したという歴史の証明となっていますが、簡素で趣のある造りには漢民族の移住者たちの精神が宿っています。
明新書院は、講堂と斎舎の間に翼房がある正殿を中心としています。廟の前の空き地には石が敷き詰められており、正殿の両側の棟には花台が置かれ緑樹も植えられています。惜字炉は正殿前の西側にあり、後園と側園には四季を通じて楽しめる花や木が植えられているほか、築山、景石、塑像が置かれています。また一部のスペースでは、民俗の文化遺産である石のつき臼、酒がめ、すき、蓑、石のひき臼、製茶機などが展示されており、その中でも牛車でかめを運ぶ様子は大変珍しいものです。静けさの中、西を望んで立つと、沈む夕日の美しさに、きっといにしえの真情を思いめぐらすことでしょう。
正殿は講義のためのもので、殿宇は高くそびえ、屋根の棟の上にある麒麟を御している男の子の飾りは、今にも動き出しそうです。その両側に置かれた一対の龍は、左右対称の4本の足を草花で飾られており、生き生きとした表情をしています。
明新書院は民国74年(西暦1985年)に内政部より三級古蹟に指定され、原型に従って全修復されました。日本式のスタイルが取り入れられているのは、日本統治時代を経験したという歴史の証明となっていますが、簡素で趣のある造りには漢民族の移住者たちの精神が宿っています。
観光スポット情報
アクセス方法
お選びになった出発点に応じて適した交通手段を選択します更新しました:2019-10-25