観光スポット

梅荷園

ここは1970年までは憲兵隊の管制地でした。故・蒋介石元総統は日月潭の涵碧樓へ休暇に訪れた際、ここから人や車、船舶の往来を監視していたと言われています。しかし時代は移り変わり、現在は日月潭における観光スポットとなっています。921震災後は、一般旅行者も自由に展望台に入れるようになり、風光明媚な湖と山の景色を楽しめるようになりました。

【涵碧歩道】
   全長1.5キロ。くねくねと涵碧半島をめぐる歩道の沿路には花や木が茂り、時に波の音が聞こえ、またホワイトジンジャーの香りが漂ってきます。途中の六角形の展望台からは日月潭を取り巻く緑の山々が白い雲とともに眺めることができます。その下方にはかつて蒋介石元総統をガードする衛兵の詰め所だった歩哨ボックスがあります涵碧楼下方の小さな波止場には在りし日の蒋介石とその夫人が使用した手こぎボートが今での残されています。一般住民はこの波止場への接近を禁止されており、そのために今でも岸辺には警備員が配置されています。

【涵碧樓】
   大正5年(1916年)に伊藤という日本人が日月潭(溢流口付近)に豪邸を建てて「涵碧楼」と称した。その後、この一帯が地震に襲われ、多くの民家が崩壊したが、涵碧楼だけは寸部の損害も受けませんでした。その噂が広まり、次々と人が訪れて宿にしたといいます。

   後に発電所の工事が始まり、その場所が水没することになってしまったことから、移築が決まりましたが、当時、伊藤家では移築経費がまかなえず、結局政府がヒノキを使って二階建ての保養所を建てました。大正12年(1923)、当時の皇太子(後の昭和天皇)が日月潭を訪れることになり、当地に八間の貴賓館が増築された。また、昭和9年(1934)、日月潭水力発電所完成の際に、「梨本宮守正王(なしもとのみやもりまさおう」が視察に訪れた際にも宿として使用することとなった際には二間が増築され、涵碧楼の名が世に轟くようになりました。

   第二次大戦後、蒋介石は日月潭を愛し、涵碧楼は外国からの賓客を招待する重要拠点となりました。当時は小さな別荘が増築され、更には礼拝場所として教会も建てられました。かつての涵碧楼は既に消失してしまいましたが、涵碧楼にまつわる歴史は今でも生き続けています。

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アクセス情報

国道3号→名間IC→台16→台21→魚池→日月潭→水社村→梅荷園

最終更新日:2018-10-22
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観光情報
  • 経緯度:
  • 120.9110439794564, 23.864014422163876
  • 電  話:
  • 886-49-2855668
  • 営業時間:
  • 24H
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