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日月潭は台湾で一番大きな湖で、不規則な菱形の日潭と西に細長い月潭で形成されているため、日月潭と名づけられた。邵族語ではzintunと呼ばれ、日月潭の最初の名称だと思われている。日月潭という名称が初めて現れたのは清朝道光元年(1821年)、北道理番同知!)ケ傳安の<遊水裡社記>文に、<<蠡測彙抄>>に「其水不知何来、瀦而為潭、長幾十里、闊三之一、水分丹碧二色、故名為日月潭」と書かれていた。漢人が水沙連を開拓するにつれて、歴代の政府の官吏、文芸学者などによって、水社大湖、水裡湖、水裡社潭、水社海仔、竹湖、龍潭、龍湖などとも呼ばれていた。清朝末期に、西洋人の伝道士が邵族の人に伝導しようとやって来て、Doagon lake、lake Candidius、Nin-Isivatan lakenなどと名付けた。 日月潭の中ほどに島があり、ここは邵族の旧居住地で、邵族の最も神聖な祖零paclanの宿る地でもあった。邵族語ではlaru、清朝では珠嶼(嶼:島の意味)、珠仔嶼、珠山、珠仔山、珠潭浮嶼などと呼ばれていた。また、lalu島は、邵族語でkunbarizと呼ばれた青龍山と、邵族語でtitabuと呼ばれた崙龍山、この二つの山の丁度真ん中にあって、二頭の龍が珠で遊んでいるように見えることから、珠嶼(しゅしょ:玉の島)などとと呼ばれていた。清朝光緒時代、ここに来た西洋人がpearl islet(珍珠島)と名づけた。日本殖民時代には玉島(水中島とも呼ばれていた)と名づけ、日月潭水力発電が順調に進められるように祈るため、島に玉女女神「市杵島姫命」(神様の名前)、を祀り「玉島社」と名づけた。 中華民国八十八年「921大震災」後、南投県庁が邵族に敬意を表すため、光華島を正式に拉魯(Lalu)島と名づけた。観光局日月潭国家風景区管理所がこの島を邵族の祖霊島と銘打ち、中華民国八十九年十月十二日に、「千人植木、千人保護」のキャンペーンを行い、邵族の人の最も神聖な祖霊の居場所に茄苳木を植えた。
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